陶山さんは、2011年の東日本大震災のとき、経済産業省でエネルギー政策を担当していました。その後は日本経済の活性化を目指し、様々な分野でベンチャー企業の立ち上げを支援してきました。
そして2018年から参加しているクラブヴォーバンでは、これまでの経験を活かして、地方自治体における施策の計画づくりのサポートなどを手がけています。さまざまな領域にまたがって挑戦を続ける陶山さんから、日本の課題やめざす社会の形について伺いました。
■入省の一年後に大震災を経験
Q:東日本大震災が起きたときは、エネルギー担当をされていたそうですね?
経産省に入省したのは2010年で、配属先は資源エネルギー庁の総合政策課です。当時は新人だったので、政策の中身よりも、スケジューリングやもろもろの調整をする仕事を担当していました。震災が起きたのは、1年目が終わろうとする頃です。3月11日に、ちょうど僕たちが担当する法案が閣議決定されほっと一息ついているときに、地震が起きました。
急いで被害状況の確認をすると、東日本各地でかなりの発電所が止まっていることがわかりました。製油所も被災したので、あちこちで燃料が足りていません。そこで燃料がどこでどれだけ不足して、どうやって届けるのかという調査や連絡、輸送の調整に追われました。
また震災の翌々日には、計画停電が発表されました。しかし計画停電は、23区内は停電対象外としたため、停電地域が偏るなど不公平感も強く、いろいろな所から電話で要望やクレームを受けました。僕自身も電話対応に当たりましたし、スムーズに対応できるようにする体制をつくるなどして、慌ただしく過ごしました。ようやく落ち着いてきたのは、4月に入ってからです。2011年の秋には、今後のエネルギー政策を見直す議論の枠組みをつくり、「革新的エネルギー・環境戦略」の策定にも携わりました。退職したのは2014年です。
■課題解決のためにできること
Q:なぜ経産省を退職されたのでしょうか?
もともと一生続けるつもりはありませんでした。一つの道を極めるよりも、いろいろな世界を見たいという好奇心があるので。最大の理由は、いまの日本が抱えている問題は、ひとりの役人として解決できるレベルを越えていると実感したことです。もっと中長期的なビジョンを持って根幹を変えていかないと、役所の中でキャリアを積み重ねたとしても、日本が直面する課題は解決できないだろうなと考えました。
Q:具体的にはどのような課題でしょうか?
例えば、社会保障費の問題です。日本全体の財政の予算規模は年々増加していますが、ほとんどが医療や年金、介護、福祉などといった社会保障費です。このままでは他の予算を圧迫して、国として成り立たなくなるリスクも抱えています。
もし将来的に政府の財政が破綻すると、日本の人々の生活は大きな影響を受けるでしょう。夢を叶えたいのに、教育を受けられない若者が出ます。本来は助かるのに、医療が受けられないために亡くなる人も出てきます。そんな社会にしないために何ができるのかと考えたときに、ここまま省庁にいるだけでは難しいという思いがありました。
■日本の未来を担うベンチャーを育成
Q:どのような方法で日本を変えようと考えたのでしょうか?
経産省の最後の2年は、電機産業の担当をしていました。日本がもともと強かった分野ですが、現在では日本企業から有力な新しいサービスが出てきません。それはなぜかという問題意識のもと、ベンチャー企業の方にお会いしたり、イノベーションについての調査を続けたりしました。わかったことは、日本でもっと新しい発想を元にした事業や産業をつくることできなければ、中長期的に日本経済を強くすることができないというものでした。
そこで、経産省をやめて設立したばかりのベンチャーキャピタルに参画しました。ベンチャーキャピタルとは、まだ上場していないベンチャー企業に出資をして、経営支援をしながら成長を促進する会社です。将来的にそのベンチャー企業が上場したらリターンが得られる仕組みです。そこで日本経済の未来を担うような、さまざまな分野のベンチャー企業をサポートさせてもらいました。
役所にいるときは、規模が大きく実績があるような企業、人の動きしか見えていませんでした。でも、ベンチャーの世界は「ゼロ」から「1」を立ち上げる動きなので、まるで違った世界が見えたことは、僕にとって大きな収穫でした。
■持続可能なまづくりへの関わり
Q:昨年(2018年)からクラブヴォーバンに参加した経緯と、陶山さんの役割について教えてください
知人と通してつながった早田宏徳さん(クラブヴォーバン代表理事 /(株)ウェルネストホーム創業者・CEO)から、新しい事業を一緒にやらないかと誘われたのがきっかけです。僕は当初、住宅産業は人口減少とともに右肩下がりになっていくので、厳しいのではないかと考えていました。でも早田さんのお話を聞くうちに、単なる住宅事業ではなく、環境やまちづくりなど世の中のためになる取り組みをしていることを理解できました。この人たちとだったら、日本の住宅やまちづくりに関わる課題を、長期的な視点で変えていけるのではないかと考え、ウェルネストホームとクラブヴォーバンに参画させていただくことになりました。
僕の強みは、複数の分野で新規事業の開発を支援してきた経験があることです。例えば、クラブヴォーバンと繋がっている自治体が新しい取り組みを行おうとしたときに、国との連携のとり方や資金調達のアドバイスなど、さまざまな領域でお役に立てることがあるかと思います。
■日本のまちづくりの難しさ
Q:陶山さんは、どのような関わりをされたのでしょうか?これからどのようなことをしていきたいでしょうか?
ニセコ町のプロジェクトでは、ドイツ在住のジャーナリストである村上敦さん(クラブヴォーバン代表)が中心となり、環境モデル都市としてのアクションプランをつくりました。アクションプランは、環境、住宅、交通、観光、エネルギーなどさまざまな分野で、持続可能なまちづくりを進める政策をパッケージにしていこうというものです。
その中で僕は、報告書をとりまとめるに当たり、どのようなスケジュール感で、何を押さえておくべきか、報告書にどういった内容を盛り込んでいけばよいかといったことなどをインプットさせていただき、報告書全体の整理なども手がけました。
Q:この一年でクラブヴォーバンやニセコ町のプロジェクトに関わる中で、どのようなことを感じましたか?
もっとも印象深かったのは、中長期的にまちづくりを考えて、みんなで議論して物事を決める大切さです。昨年(2018年)、ドイツのフライブルクにあるヴォーバン地区を村上さんの案内で訪れました。そこでまちづくりに関わっている方に話を伺ううちに、フライブルクでは、極めて計画的にまちづくりを行ってきたことがわかりました。
住民も含めて、関係者がみんなで徹底的に議論して合意しながらみんなの利益になるようにまちをつくってきたという背景がある。例えば乱開発されないようにここにみんなで住もうとか、道をどう整備しようといったことをひとつずつ決めてきたのです。
それに対して、日本では良くも悪くも「個人の自由が強すぎる」ように感じます。戦後に人口が爆発的に増え、社会が成長していく時代には自由が大事だったと思います。でも現在のような成熟社会になると、もっと議論してみんなの利益になるような効率的なまちづくりを進めていく必要が出てきています。
例えば人口5000人のニセコ町には、都市計画がつくれません。人口が1万人以下の自治体では制度上、都市計画がつくれないのです。そのため計画的なまちづくりが難しくなり、土地の所有者の自由度が強すぎてしまう。それによって、開発は土地所有者のモラルに頼るしかないので、乱開発を抑止するような制度は改善されるべきでしょう。
ドイツを見ると、日本では、まちづくりのためにまだまだやれること、あるいはやるべきことがたくさんあるなと感じました。
■誰もが好きなことに打ち込める社会に
Q:最後に、どのような未来をめざしていますか?
僕は、小学2年から大学2年までずっと野球に打ち込んできました。思う存分野球をやらせてもらい、自分で納得してやめるまで続けることができました。それができた背景には、身近では家族や周囲の人々の支えがありました。また、広い意味では地域社会やこの国が営々と積み上げてきた社会の仕組みがあったからこそできた、という側面もあると思っています。いま、その社会制度がゆらいでいます。
僕は自分にとって野球がそうであったように、いまの子どもたちにも個々人が本当にやりたいことに打ち込み、内面的にも成長することができるよう、好きなことを自由に追求できる社会をつくりたいと考えています。それが持続可能な社会と言えるのかもしれません。これまでいろいろな仕事をしてきましたが、経産省にいたときも、ベンチャーキャピタルでも、そして現在も、そのこだわりは変わっていません。