仲埜公平さんは、環境省や北海道下川町役場で勤務した経験を活かし、2018年に「一般社団法人 集落自立化支援センター」を設立しました。「自ら実践者として動くこと」をモットーに、小規模自治体を対象とした環境政策の立案や人材育成などのコンサルタント事業を手掛けています。
またクラブヴォーバンのメンバーとして、北海道ニセコ町でのプロジェクトにも携わっています。現在、下川町と東京の2拠点生活を送る仲埜さんから、地域の自立支援にかける想いについて伺いました。
■もっと現場に入って考えたい
Q:環境省からなぜ下川町の職員に転職したのでしょうか?
環境省に入った理由は、国立公園のレンジャーになりたかったからです。当時は漠然と、自然を相手に仕事をしたいと考えていました。でも実際に働いてみると、自然と向き合うというよりは、地域の行政や事業者、団体の方たちとコミュニケーションを取る仕事でした。私たちは美しい景観や貴重な自然を保全したいけれど、地域住民は開発してもっと便利で観光客が来る方がいいと考えている場合もある。でも開発が過剰になると、地域の良さも失われてしまいます。国立公園の現場では、そのバランスを調整する役割をしていました。
関わるうちに、地域のことをもっと理解したいと思うようになりました。けれど国の職員は2〜3年で別の部署に回され、地域にとってはいつもよそ者でしかありません。そういう立場の人も大切ですが、自分はもっと現場に近い所で考えてみたいと思い、環境省にいるときにご縁のあった下川町に、2010年末から8年間お世話になりました。
■どのようにアピールするかで結果が変わる
Q:下川町ではどのような仕事をされたのでしょうか?
僕が下川町役場で主にやっていたのは、新規の政策やビジョンをまとめる仕事です。役所のシステムは縦割りで、農林業とか、福祉、建設とかそれぞれが部署ごとに政策を立案しています。下川町は人口およそ3300人の小さな自治体ですが(2019年10月現在)、それでも同様の課題がありました。僕はよそから来た人間、国の役所も経験した人間として、各課の政策を統合してどのように尖らせ、町内外にアピールして、町の産業活性や移住者の増加につなげるかという担当をしていました。
統合的なまちづくりとして下川町が特に力を入れていたのが、「一の橋」集落の再生です。この集落は、下川町の中心市街地から車で10分ほどの距離にあり、かつては林業で栄えていた場所です。しかし、人口が100名ほどになり、高齢化、建物の老朽化、さらに除雪や買い物難民など、課題が山積していました。
そんな中で町は地区住民と議論を重ね、町の特徴である木質バイオマスを活用して、限界集落でも安定した暮らしを続けられるようにとプランを練ります。それが、エネルギー自給型の集落をめざす「一の橋バイオビレッジ」構想としてまとめられました。
私が役場に入ったのは、ちょうどその構想を国にどうやって認めてもらって建物や設備などハード部分を整備する財源を集めるかという段階でした。国が求めるストーリーにも合うように、環境と経済、社会の価値をバランスよく向上させてまちづくりを進めるというビジョンづくりに頭を悩ませましたが、幸いにも「環境未来都市」として認定され、その補助金も活用して2013年には木質バイオマス地域熱供給による集住化住宅「一の橋バイオビレッジ」が完成しました。
それでも、その集住化住宅が暮らしやすい場所になるかどうかは、実際に人が住み始めてみないとわかりません。プランに携わった責任も感じ、当事者として集落を盛り上げなければと考え、中心市街地からその集住化住宅に引っ越して1年間住み、その後付近に自宅を新築しました。バーベキューをやったり、中心市街地との交流会をやってみたり、もちろん集落の役員や行事も積極的に担いました。公共の投資でエリアを再開発するだけなら、比較的難しくはありません。本当の意味で地域を活性化するためには、そこからさらに個人の投資や活動が必要となってくるのです。
■集落レベルで問題を解決する
Q:2018年に、集落自立化支援センターを立ち上げました。なぜ「地域」や「自治体」ではなく、「集落」なのでしょうか?そして、具体的にはどのようなことをやっているのでしょうか?
地域というと、どこまでが地域なのか漠然としています。また自治体職員として働いた経験からは、市町村単位での物事の解決もなかなか難しい。住民もどこか他人事として受け止めてしまいます。でも集落単位で考えたら、多くの人にとってリアリティがあるし、変えられる可能性があると感じてもらえるのではないかと思いました。集落からスーパーがなくなるとか、除雪されなくなったらどうするかといったことは、まさしく自分ごとです。そのようなレベルから地域課題を解決していきたいと考えました。
自分の専門は環境や再生可能エネルギーといった分野ですが、依頼があれば何でもやっています。実際、やり始めたらありがたいことにいろいろな所からお声がかかって、せっかく建てた下川町の自宅には、たまにしか帰ることができなくなってしまいました(苦笑)。
いま具体的にお受けしている仕事は、温暖化対策や再エネ導入のコンサルティング、自治体の総合政策づくりや人材育成事業などさまざまです。地域の資源を活用して、地域の中でお金を回していく仕組みづくりが基本です。
とは言え、いきなり大きく変えようとすると既存の権益とぶつかる場合もあります。例えば、バイオマスで熱供給をしようとすると、燃料販売業者が灯油や重油を売れなくなって困ってしまいます。その面で、下川町はとてもうまく仕組みをつくりました。町内の燃料販売業者に、木質チップを製造販売してもらうようにしたのです。地域の関係者みんなが利益を得られるそのような政策は理想的だと思います。
■自分の可能性の気づくこと
Q:集落が自立するための課題は何でしょうか?
全国どこへ行っても、お金がない、人がいない、どうしたらいいかわからないと言われます。でも「お金がない」については、例えばやりたいことがはっきりしていれば、補助金を見つけてくることができます。補助金が全てダメというわけではなくて、ちゃんと目的があって、補助金がなくなっても継続していける仕組みにつながるのであれば有効に使えばいい。
「人がいない」というのは、最初から諦めているだけですね。何をやるにしても覚悟が必要です。場合によっては自治体の職員が、主導していく必要が出てくる地域もあります。自治体の職員は、日々の事務作業に追われていると、なかなかクリエイティブな発想になれないかもしれません。でもこれも訓練で、外の人とつながったり仲間が増えることで、積極的に企画を立ててお金を引っ張ってくるようになる職員もいます。行動を起こせば、実はいろいろできることがあると気づくものです。そんな意識の変革のお手伝いも、北海道地域経営塾として始めています。
Q:欧州にも視察に行かれていますが、そこで学んだことは何でしょうか?
下川町の職員だったときに、オーストリアに行きました。印象的だったのは、地域の人たちが何でも自分たちで改良していこうという意識が強いことです。例えば地域熱供給を行う配管やボイラー設備について、日本では最初から完璧を求めて設備が過大になり、施工費が嵩んでしまっています。でもオーストリアでは地域の人が「壊れたら自分たちで直せばいいでしょ」と答えるんです。技術的なことではなく、自分たちで何とかするというマインドを、もっと学ぶべきなのかなと思いました。
Q:最後に、持続可能な地域をつくるポイントは何だと思いますか?
小さなことでも、一つ一つ自分たちの力で手掛けていくことです。救世主もスーパーヒーローも現れません。役所でも住民でも事業者でも、人任せにせず自ら実践者として動くことで、身の回りを変えていくことは可能です。ひとりひとりが、自分自身の可能性に気づき、変革を着実に実現していける人になって欲しいと思います。僕は全ての地域の当事者にはなれませんが、実行をサポートしたりノウハウをお伝えすることはできます。クラブヴォーバンの皆さんとともに、いろいろな地域でお役に立てる存在になりたいですね。